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天国と地獄の狭間~新興デベロッパーの倒産から再出発までの600日の記録 (140)
経済小説
2011年5月 8日 07:00

 入社してしばらくして、私は社内の雰囲気を徐々に掴んでいった。半年くらいして大体のことがわかってきた。この時点で私は、DKホールディングスは以下のような会社であると感じた。

 まず、DKホールディングスを成長軌道に乗せたのは明らかに創業者である黒田社長の力量によるものであった。毎年十数棟の賃貸マンションを開発し、それらを期末にはきれいにオーナーに売ってしまい、その後はそれらの管理をすべて受けていた。管理に当たってのサブリースという手法が会社の屋台骨を揺るがしたのはのちのことであり、当初は競合物件が少なかったこともあって竣工するビルは皆、次から次へと満室になっていった。黒田社長のビジネスを支えていた取締役会は生え抜きで構成されており、まずまず必要な能力を備えていたように見受けられた。

面白いように業績が伸びていった... しかしその頃、子会社ピーエムジェイの後始末をしていて不思議に感じたことがある。DKホールディングスは子会社に約2.5億円を注ぎ込む一大プロジェクトであった。しかし、どういうわけかDKホールディングスの取締役の誰も、ピーエムジェイの責任者として位置づけられていなかったのである。もちろん黒田社長はピーエムジェイの社長でもあったが、ほかは非常勤取締役として岩倉専務と江口常務が並んでいるだけであった。ピーエムジェイを実質的に統括していたのは、私の前任の社長室長であった古田氏が招聘した元デザイナーの取締役副社長であった。
 私が入社したとき、福岡では賃貸オークションのテレビスポットが景気よく流されていた。東京にもピーエムジェイの社員が常駐し雑誌広告が発注されていたが、賃貸マーケットの東京地区サイトはまだグランドオープン日が決められていなかった。私は岩倉専務か江口常務、いずれか一人でもピーエムジェイの常勤取締役となって、厳しく営業活動の進捗管理を行なっていれば、もう少し成果が得られたのではないかと考えた。

 平成15年から、私は社長室長として予算管理やIRの業務に取り組んだ。前職では営業予算の管理は経験していたが、会社全体の予算管理は始めての経験であった。また前職では、企業広報は担当したことがあったが、投資家向け広報は担当したことがなかった。当時は管理部長としてベテランの経理マンがいて、証券取引法上の開示業務を担当されていたので、私は主にこのベテラン経理マンからいろいろな指導を受けつつ、未経験の業務を吸収していった。
 その頃、年度予算を編成するうえで私がびっくりしたのは、経営陣が想定される事業計画を土台として来年の売上を作るために、今年はいくらの不動産を仕入れるのか、などについてまったく意見交換をしていなかったことである。黒田社長は、3年後売上300億円などの目標を掲げていたが、経営陣でトップが掲げる目標をどのように達成していくのか、そしてそのためにはどのような障害があるのか、というようなことを語り合っている形跡がなかった。単に自らの担当範囲を守り、右から右へ物件を仕入れては売っているように感じられた。

 トップが掲げる目標を経営陣がブレイクダウンできないと、その会社は糸が切れたたこのように吹き流されてしまうだけである。トップが示す目標を各セクションにブレイクダウンし、ベクトルを合わせていくことで初めて目標を達成することができる。
 そこで、私は、私なりに当社の事業構造を理解したあと、私なりの方法で主に営業部を巻き込んで予算編成を行ない、それを営業活動や仕入活動に反映させていった。ひとたび、予算を軸として現場と経営計画の歯車がかみ合い始めると、その後は面白いように業績が伸びていった。

〔登場者名はすべて仮称〕

(つづく)

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